
母の着物がある。
祖母の着物がある。
祖母が誰かにいただいた着物がある。
誰の物かわからない着物がある。
もう着ないからぜひ着て欲しいと、いただいた着物がある。
祖母が亡くなって、箪笥を開けると着物があった。
最初は、柄が素敵なので、何か小物を作ろうかと言っていたが、
急に私は着物が着たくなった。
そして、母と一緒に着物を着るようになった。
母に着せてもらっていた私も、自己流ながら、自分で着るようになった。
着物を着てみると、私に合わせて作ったものではないので
微妙にサイズが一枚一枚違う。
袖が短めな時もあれば、裾が短めな時もある。
少し大きめに作り直してある着物もあり、
私にとっては大きすぎたりもする。
けれど私は、細かい所は気にしない。
こうして母の着物や祖母の着物、いただいた着物、
昔からあるものを着る事が出来る喜びを感じているから。
この着物を着ていた人は、とても小柄だったんだな。
この着物を着ていた人は、自分用に作り直しているのだな。
少し大きい方だったのかな。
着るたびに、その、着物が生きてきた足跡を感じることが出来る。
自分の体型にぴったりと合う着物があると、
この人は、私と同じくらいの身長だったのかもしれないと、
何かしら親近感がわいたりもする。
着物だけではなく、古い茶碗や壷などが何年も何十年も、
そして何百年も残っているのは、
その物に対しての想いが強いからだと思う。
大切にしようと愛情を注ぐからこそ、ずっと生き続けている。
手放す時も、この人なら引き続き大事にしてくれるだろう、
という人へ渡して、また大切に使われていたのだと思う。
そうでなければ、決して残ることはないだろう。
壊れて捨てることは簡単かもしれないが、
いまあるものを、自分の子供へ、孫へ、その次の代へと、
つなげていくものが、いま、あるだろうか。
これだけは大切に扱い、想いを伝えていきたいと思うもの。
人の手から手へ、心から心へと繋がるもの。
そういうものを、自分の中に持ちたいと、私は思う。
私と母の着物姿を、祖母は一度も見なかったが、
きっとどこかで見てくれていると思う。
ただ、身にまとう布、というだけではない。
その一枚一枚に想いがあるからこそ、私は着ていて楽しい。
その楽しさを、自分の中で育てていきたいと思う。
*左の写真と右側二枚の写真は、同じ着物。
私には少し小さめですが、帯を変えて着てみました。
黒地に桃色や白色などの小さな水玉模様。
紺色の帯は落ち着いて、ピンク色の帯は明るく見えます。
中央二枚は、紅葉の着物。
気に入っているので、この紅葉する季節によく着ます。
もみじの柄が大きいですが、着てみると華やかな気持ち。
今は朱色の帯ですが、おばあちゃんになったら茶色の帯で着てみたい。

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